erlenhof.gif(587 byte) ネレイーデ物語〜Nereide - Geschichte einer Wunderstute〜

1. 鮮烈のデビュー

 デビュー前の調教で如何に非凡な能力を見せようと、2歳牝馬の春先の出来で、一体どれだけ将来性を予測することができるだろうか。

 ネレイーデはデビュー前の調教で既に非凡なる素質を垣間見せていた。しかし、兄姉たちに特に優れた馬はいない。またごつごつした体型で、毛艶もあまり良くなく、決して見栄え良い馬ではなかったため、当初厩舎は彼女に対し然程大きな期待を寄せていなかった。もっともボルケは、ネレイーデを一応主要な2歳戦の殆どに登録しておいた。而して1935年6月2日16時13分、彼女はホッペガルテン競馬場の2歳牝馬限定戦(1000m)にて、栄光へのその第一歩を標すことになる。

 ネレイーデは、3頭が3倍台で人気を分け合う1頭として出走。スタートと同時に先頭を奪い、持ったまま後続を4馬身差に千切って圧勝した。良馬場での勝ちタイムは1:01.5。これは同日の2歳牡馬戦を勝ったノルトダイヒ(Norddeich)のタイムより1.4秒も速かった。この結果に早くもネレイーデへの関心は集まるが、次のレースでは更に決定的な衝撃がもたらされた。

 7月4日、ボルケが彼女の2戦目に選んだのは、ホッペガルテンの2歳三冠初戦ズィーアシュトルプフ・レネン(Sierstorpff-Rennen, 1000m)である。牝馬4頭、牡馬2頭の6頭立てで、1番人気は、ヴァルトフリート牧場の牝馬アレクサンドラ(Alexandra)であった。この馬はデビューから圧倒的人気で2戦を制し、前走では前出のノルトダイヒを5馬身千切っている。ネレイーデは2.5倍という高評価を得ながらも2番人気に甘んじ、グラディッツ(Graditz)牧場の牝馬アーベントシュティムンク(Abendstimmung)が6.5倍の3番人気と続いて、牝馬たちが人気を集めた。牡馬にはノルトダイヒの他、レットゲン牧場(Gestüt Röttgen)のヴァーンフリート(Wahnfried)もいたが、この馬はデビューから2戦続けて惨敗しており、ここでは最低人気となっていた。

 ネレイーデはデビュー戦同様、スタートと同時に外からハナを奪い、軽快に逃げる。ヴァーンフリートが2番手で、以下後続がほぼ一団となって追走する展開となった。ホッペガルテンの短距離戦は直線コースで、第4コーナーとの交差地点からゴールまでが500m余あり、残り400mから200mくらいにかけて登り坂が控えている。鞍上グラプシュ(Ernst-Florian Grabsch)は登り坂入口で仕掛け、ネレイーデはそれに反応するとあっという間に後続を引き離し、そのまま先頭で難なくゴール板を駆け抜けた。人気のアレクサンドラは後方から追い込んで2着を確保するも、ネレイーデとの差は実に6馬身。ノルトダイヒがその後ろ1馬身差で3着に入り、ネレイーデを追ったヴァーンフリートは最後に力尽きて4着であった。だが観衆を驚かせたのは、この圧倒的なパフォーマンスだけではない。レースタイム、0:59.6。ネレイーデは2歳馬として、初めて1分の壁を破ったのである。

 ネレイーデの快進撃は、留まるところを知らなかった。8月27日バーデンバーデンのツークンフツ・レネン(Zukunfts-Rennen, 1200m)では、再びアレクサンドラと対戦。アレクサンドラ51kgに対し56kgという斤量差をものともせず、ネレイーデは3馬身半差で再度挑戦者を退ける。続いて9月15日のオッペンハイム・レネン(Oppenheim-Rennen, 1200m)では、この間2着続きで徐々に力を付けてきたヴァーンフリート、及びこのレースでデビューするヴァルトフリート牧場期待の牡馬ペリアンダー(Periander)と対戦するが、1.0倍の一本被りの人気となったネレイーデは、軽く追っただけで2着ヴァーンフリートに8馬身差、その後方を更に7馬身差に引き千切り、スピードの違いをまざまざと見せ付けたのである。

 ネレイーデ陣営は、オッペンハイム・レネンに続くホッペガルテン2歳三冠の最後の一冠、ヘルツォーク・フォン・ラティボア・レネン(Herzog von Ratibor-Rennen, 1400m)へと駒を進めた。過去にこの三冠を制覇した馬は、1925年アウレリウス(Aurelius)と1933年アタナシウスの牡馬2頭のみである。初の牝馬による三冠制覇への期待が高まる中、ネレイーデはいつもの如く楽な手応えのまま先頭で登り坂を迎える。誰もが当然そこから後続を引き離す独走劇を期待した。だが唯一頭、これまで影をも踏ませなかったヴァーンフリートが、その後ろに喰らいついてきた。坂を登り切ると、ヴァーンフリートは名手ラステンベルガー(Julius Rastenberger)の鞭に応えて猛然と追い込んだ。これに慌てたグラプシュは、ラスト50mで鞭を入れる。ネレイーデは再び伸び脚を発揮し、ヴァーンフリートの追撃を3/4馬身差に抑えてゴールした。結果として、内容は着差以上の楽勝だったといえる。しかもヴァーンフリートから後ろは「大差」に引き離されており、人々は改めて彼女の強さを認識した。だが同時に、ヴァーンフリートの急成長振りにも注目が集まった。タイムは1:27.4で、32年にヤニトア(Janitor)が記録した1:27.2に僅かに届かなかったものの、レースレベルの高さは十分に証明されている。

 ネレイーデの2歳シーズンはここで終了するが、冬の間競馬界は、翌年のネレイーデに対する予想で持ち切りであった。問題とされたのは、「牝馬」であるということ。2歳で好成績を残し、3歳になって期待を裏切る牝馬は数知れない。また距離の壁も囁かれてはいたが、しかしホッペガルテンの登り坂でも、最後にはしっかり伸びるパワーを備えていたし、全体的には更なる成長への期待の方が大きかった。翌年彼女は、その期待に応え、更にそれを遥かに超えていくことになる。



2. 苦戦の連勝街道

はしがき − 1


 

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